GUEST ROOM39-5
「仮面-第5話-」 作・夏野 行
「藤沢」
足を棒にして一日歩きまわった夕方。
署に戻ってきた哲平がデスクに腰を降ろす前に、奥から声がかかった。
「は?なんすか、課長」
「いいからちょっと来い。会議室だ」
顎をしゃくった顔は苦虫を噛み潰したような渋面だ。
相当虫の居所が悪いらしい…と悟って、哲平は同僚にチラと目配せすると、肩をすくめて従った。
「藤沢、お前木崎の件で奴の勤め先に行ったよな?」
締め切った会議室の中で、向き合った上司はじろりと彼を見た。
「はぁ…まあ」
表向きは平静を装ったが、胸の奥に小波が立った。
「それがなにか?木崎がようやく喋りましたか」
先日逮捕された木崎は、ずっと黙秘を続けていたはずだ。その木崎が何か喋り出したのだろうか、と哲平はにわかに緊張した。
売人ルートが判明したとなれば、課を上げての大掛かりな捕り物になる。
だが、返って来た答えは意外なものだった。
「違う。密売ルートに関しては相変わらずだんまりだ。親が金持ちでな。弁の立つ弁護士をつけてきた。こっちは拘留期限の延長を申請している」
「はぁ…それでは?」
「木崎がな。勤め先のホスト長…早乙女って男にヤクを売ったというんだ」
「なっ」
哲平は自分の顔が強張るのを意識した。早乙女とは、先週マンションに押しかけて強姦紛いに身体を繋いで以来会っていない。向こうからの連絡も途絶え、何度か店に掛けた電話は切られた。
このところ立て続けの事件に追われて、哲平もそれ以上連絡をつけることができなかったのだ。
「それ…木崎のガセじゃねぇんですか」
「何かそう思う根拠があるのか」
「いや…それは別に」
「もう一時間ほど前に本人を呼んだ」
「え?」
「今取調室にいるんだが…」
チラ、と上司は哲平の顔をみて、意味ありげな顔をした。
「奴はお前でなけりゃ何も喋らないと言っているそうだ」
弾かれたように哲平は顔を上げた。
靴音の響く廊下を足音も荒くドスドスと歩きながら、哲平はいつしかきつく唇を噛んでいる自分に気づいた。あの男が自分を呼んでいると聞いて、動揺している自分を認めるより他はなかった。
(あの男…なんだって俺に)
無性に忌々しい。動揺なんていう可愛い心持ちになっている自分も薄気味悪い。
精神も肉体もタフなことを自負している哲平にとって、そんな感情はあまりにも異質で。
(あいつのこととなると…どこか調子が狂っちまう)
「クソッ…」
思わず悪態をつきながら、ノックもそこそこに第二取調室のドアを開いた。
「んぅっ………」
「…ん…いいよ」
狭い部屋の中、目に飛び込んできた光景に凍りつく。
早乙女は小さなパイプ椅子に座ったまま、若い巡査の腰を引き寄せて濃厚に舌をからませていた。
「な…何やってんだ!!」
「わっ!」
トロンと目を潤ませた巡査は、哲平に気づいて飛び上がった。離れようとするのを、しっかり腰をホールドした早乙女が引き止める。
「まだ、終わっていないよ?」
「いえ、もう…っ」
早乙女の囁きにしどろもどろで言葉を濁すと、巡査は真っ赤な顔のまま哲平を突き飛ばすようにして飛び出して行った。
「…てめぇ、何してやがる」
早乙女を振り返った哲平の奥歯がギリ、と鳴る。
灼熱した鉛みたいな怒りが腹の底で渦を巻いていた。
「失礼。来るのが遅いから少々待ちくたびれてしまって。…ねえ、警察官というのはみんな…禁欲的なぶん誘惑に弱いのかな」
「な…んだと」
「キスだけで前を固くしてしまって…可愛いな」
「どうせ…」
言いかけて哲平は唇を舐めた。
こんな男の挑発に乗るな、やめておけ…と、頭の中で何かが警告する。
「どうせ…なんですか?」
けれども、笑いを含んだ目で見つめられたら、言葉を止めて奥事など出来なくなった。
「どうせ、あんたから誘ったんだろう?俺の時と同じように」
かすかに早乙女の眉がひそめられた。
「なんのことです」
「何かと引き換えにその顔と身体を使う。…もともとアンタはそういう男なんだ」
「………」
冷たい目が哲平を見つめ返す。焦燥に駆られて早口で彼は続けた。
「あんたは…いったい何枚の仮面を被ってるんだ。決して素顔を見せないで、その目と声と、その身体で…今までいったい何人の人間をたぶらかしてきた!?」
「たぶらかす…ですか」
さも可笑しそうに、嘲るような薄い笑みが早乙女の頬に浮かぶ。
哲平は一歩彼に近づいた。伸ばした太い腕でグイとシャツの襟を掴んでつるし上げると、僅かに眉をひそめた男は、じっと見返してくる。
その瞳は凪ぎ、冷静に彼の反応を見つめているようにも見え。
「確かに、直情型のあなたはたぶらかし甲斐がありそうですね」
「っ…!」
気づいた時、握り締めたこぶしは早乙女のみぞおちに深々と食い込んで。
崩れるように長身の身体が、哲平の腕の中にくず折れて来た。
「お前…何してやがるっ!藤沢っ!!」
ふと耳元で割れ鐘のように誰かがわめいている。
顔を上げた哲平は、救急隊員の手で担架に乗せられる早乙女を見た。
「おい!聞こえてるのかっ!!」
がなりたてる声を無視して、早乙女に近づく。
目が合った。
額に脂汗を浮かべた男は、それでも美貌をほころばせ、哲平に笑いかけた。
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